親父をどこまで上げるかが本分」「心でつながっているから」…誰も憧れなくなった時代に、それでも彼らが“ヤクザ”を続ける理由
親父をどこまで上げるかが本分」「心でつながっているから」…誰も憧れなくなった時代に、それでも彼らが“ヤクザ”を続ける理由

親父をどこまで上げるかが本分」「心でつながっているから」…誰も憧れなくなった時代に、それでも彼らが“ヤクザ”を続ける理由
6/13(土) 20:00配信
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文春オンライン
〈現役ヤクザが苦笑する歌舞伎町“立ちんぼ少女”の“異常な実態”…「この辺に立つな」と注意すると「うるせえジジイ!」とカメラを向けられ…〉 から続く
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銀行口座も作れない、家も借りられない、車も買えない――。暴力団排除条例の徹底により、現代のヤクザは「飯が食えない」ほどの厳しい締め付けにあっている。それでもなぜ、彼らはヤクザを続けるのか。
ここでは久田将義氏の著書 『教養としての新宿・歌舞伎町』 (朝日新書)の一部を抜粋、再編集したものを特別版[後編]として紹介する。
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ヤクザになったワケ
写真はイメージ ©︎hiroyuki_nakai/イメージマート
暴排条例といった環境の変化が起こっても、決して半グレ・トクリュウの立場が上になったということはない。依然として繁華街の捕食者の頂点にはヤクザが君臨している。ただし条例のおかげでヤクザがキツイ思いをしているのも確かだ。
ヤクザは今、何を感じているのか。歌舞伎町に事務所を置く、指定暴力団二次団体幹部二人にインタビューをした。揺れ動く現役ヤクザの本音を聞いた。
――ヤクザになったきっかけを教えてください。
E氏 ガキの頃は暴走族やっていましたね、中一くらいから。20代で歌舞伎町に来てヤクザになりました。当時はヤクザする気なかったんですけど、歌舞伎町に出て来て、若い人ともめたんですよ。それから親父(おやじ/親分)が出てきて話しているうちに「あ、この人は違うな」と思ったんです。そこから親父の盃(さかずき)もらって、という感じです。
――暴走族からヤクザへのルートは多いですがDさんは?
D氏 俺はちゃんとした家庭でしたね。暴走族はやったことがない。でも俺はガキの頃から素行があまり良くなくて。
好きじゃないとできないヤクザ
――お二人にとってヤクザをやる意味を教えてください。
D氏 俺んところは、普通の会社だからね。正業、持っていないとね。うちの親分が詐欺とかクスリとか嫌う人だから。ただ他組織のことは俺はいちいち言わない。俺のところの親分が嫌っているからそれに従っている。俺自身も、今日一日生きる金とヤクザができる銭さえあればそれ以上求めないから。それ以上求めると他人(ひと)様に迷惑をかけることになる。自分の信念を貫けるだけの心と銭があればそれで充分。ヤクザが好きだからね、俺は。ヤクザである自分が。それをやるには多少の銭は必要だけど。
――Eさんはいかがでしょう。
E氏 自分は親父(親分)が好きなんで、親父とおればいいんかなと。ある程度、生活なんかできなければだめですけど見栄張ろうと思えば、そういう付き合いもあるし。金は必要ですけど。だけど親分が好きなんで親分と一緒にいられればというのをこれからも続けるようにするだけですね。親と子の盃ですから。
D氏 心でつながっているからね。今の若い人たちは俺らをかっこいいと思っていない人が多いよね。職業として見ちゃっているから。俺らは「生き方」なんで。それがないとやっぱり(この稼業は)続かないんだね。給料が出る訳でもないし。大変だけどそれを我慢して「この人のために」とできるからヤクザやっている。ヤクザ、好きじゃなきゃできないよ。時間とられて稼げないとか、こんなことやっていたらずっと貧乏とか思っていたら一生ヤクザなんか続かない。自分で頑張って頑張って仕事見つけて、なおかつ兄貴、親分に尽くして。そういう世界だよね。
歌舞伎町は冷たくなった」
――ただ、昨今の渡世(「ヤクザ」の意)は厳しいと聞いています。
E氏 ヤクザはいま飯、食えないですよ。暴排条例は大きいですよ。お金貸してくださいってだけでパクられるんですから。銀行口座も作れないし家も借りられないですし。車も買えないです。
――歌舞伎町全体にも、その流れは来ているのでしょうか。
D氏 歌舞伎町の状況は、昔は誰でも受け入れるというか、体一つで歌舞伎町に来て「何か仕事ないですか」って言う街だった。そういう人を受け入れる土壌があったけど、昔に比べると冷たくなったよな。街の人情というか。
E氏 昔はねえ、ヤクザやりたいという奴がよくいたんですよ。そういう奴はすぐ飛ぶ(行方をくらます)んですけど。東京都もうるさいですよ、歌舞伎町には(注・石原都知事時代の歌舞伎町浄化作戦を思い出してほしい)。
――そんな不景気な中でもやはり、何かで当てたいという気持ちはありますか?
D氏 一攫千金はヤクザやってりゃあるんじゃない。ただ、人に情報を知らせてもらわなかったらそんなもんないけどね。だから、やっぱ大事なのは人付き合いですね。
E氏 堅気との付き合いは大事ですよ。ヤクザって言うと縛りがあるじゃないですか。堅気だと仕事できるんで。堅気と付き合いしとったら、何かしらでお金が生まれてくることもあるでしょう。
ヤクザを締め付けると日本のバランスが取れなくなる
――半グレがテレビ、新聞、雑誌を賑わせていますがDさんたちとの関係は?
D氏 まあ「棲み分け」だから俺らにはそれは関係ないわね。俺らは親分の意志で動くだけだから。たとえ(半グレと)喧嘩になったとしても絶対負ける気はしない。喧嘩のやり方が違うから。
――なるほど。暴排条例に関して、今の政治家に対して言いたいこととかありますか?
D氏 国のお偉いさんがやっていることだから俺らには分かんないけどさ。
E氏 だけどあんまりヤクザを締め付けると日本のバランスが取れなくなるぞということは言いたいですね。
――こういった厳しい現状の渡世で「夢」みたいなものはありますか?
D氏 兄貴と一緒にいたい、それだけだね。
E氏 そうです。それは自分も同じです。親父をもうどこまで上げるかですね。それが自分の本分ですね。
D氏 それが一番の誉だね。生きがいだね。ヤクザとしての生き方を全うするのが
それでもヤクザは無くならない理由
警察がヤクザを取り締まるのは分かる。一般人がヤクザを怖がり、嫌うのも分かる。ただ彼らアウトローの存在は人間の歴史そのものと表現しても言い過ぎではない。世界に目を広げてみる。国によってはマフィア、ギャングといった名称で呼ばれている。人類の歴史が始まって以来、名称・形態を変えて存在し続けてきた。
アウトローを文化的側面から考察すると、ヤクザは芸能など興行の世界に、それこそ江戸時代からつながっている。現在も芸能界などの興行の世界と結びつきは厳然として、ある。『仁義なき戦い』や『ゴッドファーザー』など、ヤクザ・アウトローをテーマにした映画、小説、ドラマ、漫画がなぜここまで定着しヒットしてきたのか。
日本人いや、人の心のどこかにアウトローに対して惹かれる部分があるのだと思う。そういったこともあってヤクザ人口は数字の上では減少したとは言え、日本におけるアウトローのピラミッドは崩れない。
例えば我々を楽しませてくれる芸能の世界は、アウトローたちの行き場であるというとらえ方もある。芸能人とアウトロー・ヤクザには親和性がある。
暴排条例施行以前の時代では、あからさまに芸能界とヤクザとのつながりが雑誌記事、タレント本に書かれていた。暴排条例の影響が多大だとは思うが、現在は結びつきが薄くはなっている。
しかし、無くなりはしないだろう。繰り返すが芸能界とヤクザには親和性があり、日本人がアウトローをエンタメ化・芸能化した作品を求めているからだ。
取り締まり対象増の悪循環
暴排条例によって警察組織の暴力団対策課はヤクザだけを取り締まっていればよかったのに、さらに半グレという、もう一つのスキームを取り締まらなければならなくなった。ターゲットが増えてしまったのである。
そして、現在はトクリュウという名前をつけており、これも繰り返しになるが匿名・流動型犯罪という「形態」を意味していたのにいつの間にか犯罪集団を指していることになった。警察行政は自分たち自身が作った条例に振り回されているのではないか。
行政が難しいのは、法制だけで社会の道理が成り立つ訳ではないということだ。お役所に求めるのは無理だとは思うが歴史的・文化的観点をもって、法律・条例を立法、施行しなければならなかったのでは、と思う。
一つ言える点がある。こういう言い方は賛否両論あるだろうが、ヤクザの存在を敢えて表現すれば必要悪。「そこにあるもの」なのである。警察行政は歴史的視点を持ってほしい。メディア有識者たちがかつて言っていたような「彼らを全部悪いと断定しない」といった姿勢が必要ではないだろうか。でないと、犯罪がますます複雑化して取り締まりにくくなっていくと思われる。近年のトクリュウ犯罪の顕在化を見れば自明だろう。
久田 将義/Webオリジナル(外部転載)
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