items123のブログ

気になるニュースを取り上げます

メールでお客様に「よろしくお願い致します」はNG?「致します」と「いたします」使い分けは実に簡単だった!

Items123

メールでお客様に「よろしくお願い致します」はNG?「致します」と「いたします」使い分けは実に簡単だった!





デキる人は知っている】メールでお客様に「よろしくお願い致します」はNG?「致します」と「いたします」使い分けは実に簡単だった!

10/25(日) 6:45配信



29

コメント29件



LIMO


出所:@yucchi_manner(投稿・写真著作権者)(Copyright LIMO [リーモ] | くらしとお金の経済メディア All rights reserved.)

ビジネスメールの結びでよく使う「よろしくお願いいたします」。


この「いたします」を漢字で「致します」と書くか、ひらがなで「いたします」と書くか、迷ったことはありませんか? 


◆【写真】「よろしくお願い致します」はNG?漢字とひらがなの使い分けを見てみる


そんな「致します」と「いたします」の使い分けを、わかりやすく解説した動画が話題を集めています。


恥ずかしながら、特に意識せずにこれまで使ってしまっていた筆者。この動画を見て大きく反省しました。


投稿したのは、Instagramでマナーにまつわる情報を発信しているゆっちさん。


かつては「ポンコツ秘書」だったと振り返り、今では歴代社長3人に認められるまでになったというゆっちさんが、文化庁の公式ルールを調べてまとめてくれました。


動画には、執筆時点で約2270「いいね!」が集まるなど、たくさんの人に注目されたようです。


※投稿の画像は【写真】をご参照ください。

※今回ご紹介する投稿は、投稿者様の掲載許可を頂いております。

※表記のルールには諸説あり、媒体や会社の規定などによって考え方が異なる場合があります。


※編集部注:外部配信先ではハイパーリンクや図表などの画像を全部閲覧できない場合があります。その際はLIMO内でご確認ください。


【致します/いたします】いつ・どっちを使う?見分けるカギは「主役」か「脇役」か

ゆっちさんが教えてくれた見分け方は、とてもシンプル。


その言葉が文の中で「主役」なら漢字、「脇役」ならひらがなで書く、というものです。


では、「主役」と「脇役」はどう見分ければよいのでしょうか。


ゆっちさんによると、言葉が本来の意味どおりに動いていれば「主役」。一方、ほかの言葉を支えているだけなら「脇役」とのこと。


「致す」は「する」をへりくだって言う言葉。「やります」という意味がそのまま生きていれば主役、ほかの言葉にくっついて丁寧さを添えているだけなら脇役、というわけです。


「よろしくお願い致します」はNG!ひらがなが正解の理由

この考え方に当てはめると、「よろしくお願い致します」は漢字ではなく、ひらがなの「よろしくお願いいたします」が正解。


「お願いいたします」の「いたします」は、「お願い」という言葉を支えて丁寧にしているだけの脇役だからです。


メールの定番フレーズだけに、ずっと漢字で書いていたという人もいるのではないでしょうか。


じゃぁ「致します」「頂く」を漢字で書いてOKなのはどんなとき?

一方で、漢字で書くのが正解になるケースもあります。


たとえば「資料の準備をこちらで致します」。この「致す」には「やります」という意味がちゃんと残っているので主役。だから漢字で書く、とゆっちさんは説明しています。


「お土産を頂く」も同じです。この「頂く」は「もらう」という意味どおりに使われているので、漢字で書いてOK。


反対に、「ご確認いただく」の「いただく」は、「ご確認」を支えている脇役なので、ひらがなで書くのが正解です。


「致す」も「頂く」も、主役なら漢字、脇役ならひらがな。このルールを覚えておけば、メールを書くたびに迷うことも少なくなりそうですね。


ビジネスメールを送る前に、ぜひ動画を参考に見直してみてくださいね。

旋盤工で作家>小関智弘さんのこと

Items123

旋盤工で作家>小関智弘さんのこと

文化と芸能









ものづくりについて伺う前に、小関さんご自身のことを伺いたいのですが、小関さんは、18歳の頃から旋盤工として町工場で働き始めたとのこと。と同時に、小説や町工場の視点から社会を見つめたノンフィクションなど執筆活動も行っていらっしゃる。そもそも、どのようなきっかけで旋盤工になられたのでしょうか?

  

小関

よく「工業高校卒」という肩書きを見て、「なるほど、だからか」と納得される方がおられますが、在学中はちょうど戦後の教育制度の改正があったために工業の授業がほとんどなかったんです。ですから肩書きは「工業高校卒業」ですが、工業の勉強なんて製図や電気の基礎の基礎を学んだ以外、全くしていません。
高校卒業後、大学進学を考えていた時期もあったのですが、家の事情もあってすぐに小さな工場で働き始めました。私の家族は、当時、終戦から6年経っても、まだバラックで生活をしていて、そのバラックというのが、人が住める状態ではないくらい朽ち果てていた。指でトタンを押すと、ずぶずぶっと崩れるような有様で(笑)。だからまず生活を立て直さなくてはいけないと考えたんですね。それで求人募集のポスターで見つけた小さな工場に勤めることになりました。その工場に、たまたま旋盤という機械があって、私がそれを使うことになりました。それが旋盤工となったきっかけです。もしその工場が求人募集をしていなかったら、もしそこに旋盤がなかったら、全く違った人生を歩んでいたかもしれません。

--

それでは将来「もの書きになる」ということはお考えでしたか?

小関

全くありませんでした。ただ、中学、高校と文芸部に所属していたこと、工場で働き始めた頃というのは、戦後、労働組合や地域の文芸部や演劇のサークルが盛んだった事もあり、私も地域の青年会の文芸好きを集めて、サークルを立ち上げました。その後結婚してから、4人の仲間と『塩分』という文芸サークルを作りました。1959(昭和34)年に立ち上げて、今でも創立のメンバーを中心に活動を続けています。
文章を書くことについて、『塩分』の影響は大きかったですね。本を読んで、それについてメンバーで討論するという作業を通して、かなり力がついたと思います。

--

いわゆる「二足の草鞋」ということですが、ご著書を拝読する限り、旋盤のお仕事と作家のお仕事は切り離せない車の両輪のようにも感じられます。

小関

「二足の草鞋」とはよく言われますが、私自身にとってみれば一足の草蛙しか履いていません。小説でもエッセイを書くのでも、自分の周りで起きたことや体験したこと、場所や登場人物など、自分の身の回りのことを書いているんです。旋盤工でしか書けないことを書いている。逆にいうと、旋盤工だったおかげで書けたことを書いているのだと思います。

--

作品が直木賞や芥川賞の候補にまでなり、その時に作家として生活して行こう、とは思われませんでしたか?

小関

確かに出版社の編集担当者からは、もの書きになるように勧められました。でも当時、70年代の終わり頃は、マイクロエレクトロニクスが登場し、工場の様子が一変した時代でした。これまではハンドルを握って、それを微妙に操作しながら鉄を削っていたのが、コンピュータにプログラムを入れると機械が自動的に鉄を削る。私は、その変化を目の当たりにして、今は書くことを一旦止めても、この変化の現場にいなくてはならない、と考え、実際「しばらく本は書かない」と宣言していました。
新しいものが好きなんですね。新しい機械の技術を学びたかった。初期の制御機械というのは、三角関数やピタゴラスの定理を使った数式を自分で計算して入力しなくてはいけなかったので、息子の数学の教科書を借りたりしながら必死に復習しました(笑)。その後、NC旋盤を導入している町工場に勤めることになり、技術を習得していきました。

--

それは、おいくつの頃のお話でしょうか?

小関

43、44歳の頃ですね。とにかく音を立てて世の中が変わっていった時期でした。今まで現場の主役だった職人たちが脇役になってしまった時期とも言えます。

 仕事に向かう姿勢が作る「働きがい」  

--

私たちが働く環境は、以前に比べて大きく変化し、ともすれば「働きがい」を見失いがちだと言われます。小関さんは、当初旋盤の仕事を軽く見ていたというお話ですが、今は、旋盤のお仕事を理解し愛しておられます。どんな気持ちの変化があったのでしょう?

小関

30代の始めは「鉄なんて、削っても削っても変化がないもの。一生俺はこんなことをして過ごすのか」と思っていた時期があります。旋盤工としては、人並みの技術をつけた事もあって、慢心していたところもあるのでしょう。ですが、子供も産まれたばかりだったし簡単に辞めるわけにも行かない。作家と言ったって保証があるわけでもなし、やはり一生続けていく仕事として覚悟を決めなくてはいけない、それなら、腕のいい旋盤工になろうと思ったんです。
そこで、まず、毎日の仕事についてメモを取り始めました。この鉄は粘りがあるとか、固いとか、どの刃物を使ったとか、その時の研ぎ方はどうしたとか、削るのにどれくらい時間がかかったとか、削った時の鉄の色はこんなだったとか、そういった内容です。やってみたら何とも奥が深い。それに私は何も知らずにそのメモを付けていましたが、自分が仕事を通して書いたメモの内容が、鉄を科学的に測定し分析したものと同じ結果だったということを聞いて「鉄を削るって面白い仕事だったんだ」と知りまして(笑)。
それまでは与えられたものをただ削っているに過ぎなかったのですが、削り方を工夫したことによってどういう変化があったかを自分で実感できたためでしょう。受け身の姿勢を変えたことで面白さがわかったんですね。そうやって自分がどれだけ仕事に「乗る」か、ということは、働きがいを感じる上で大切なことでしょうね。
また、勤めていた工場で隣にいた職人の影響もあると思います。ものすごく腕が良い上に、器用というだけではなくて、ものを作るのに非常に知恵を働かせる人でした。

--

知恵を働かせるというと、具体的にどんなことでしょうか?

小関

例えば、旋盤の仕事には「治具作り」という過程があります。これは簡単に言うと、工作機械で正確に加工するための道具のことですが、職人はこれを自分で作ります。求められる製品を作るための設計図はあるけれど、それを作るための過程は、それぞれが自分で考えるのです。その治具の善し悪しで、製品の出来上がりも全く異なってくるのですから、職人の腕前がはっきりと出る、正に職人の知恵のかたまりと言えるでしょう。

--

経験や仕事への姿勢が物を言う場面ですね。

小関

そうですね。特にコンピュータ化された機械相手では、機械の機能やプログラムの仕方さえ分かればものが簡単に作れてしまう。「マニュアル通りにやっていればいい」という気持ちになるのもたやすいことでしょう。ですが、それでは「自分で作っている」という実感が何もなくなってしまいます。それは「作る」のではなく「作れてしまう」、さらに言えば「作らされている」に過ぎません。それでは働いているのではなく「にんべん」のない「労動」になってしまいます。

  

小関

私は、小さい工場をたくさん訪ね歩いていますが、日本人は働くことが生き甲斐になっているのだなとしみじみ感じています。そういう民族的な文化があることは良いことだと思います。
日本人のすごさというのは、現場を作り上げてきた人達が現場に踏みとどまっているということ、つまり現場に底力があるんです。
大田区の小さな工場を始め、日本の工場は現在、世界で唯一というものをたくさん作り出しています。例えば、缶詰の蓋。ジュースや缶詰のプルトップ型の蓋は指を切りやすく、これを解消するために日本の大学の研究機関でも億単位の予算をかけて研究していましたが、実際にそれを作り出したのは、大田区の工場にいる、金型作り数十年というベテラン職人でした。
カメラ用のモーターのシャフトも、今までは削り出して作っていたものを、削らずに100分の1の精度で作れる製法を日本の町工場が編み出しました。これら全て、現場の人間が蓄積してきた感覚、感性、知恵があってこそ発想できる、新しいものづくりのプロセスです。知識ではなく、知恵です。

--

それは、ひとりひとりが自分の中に積み重ねていくものなのですね。

小関

結局、ものづくりというのは人づくりなんです。今、若い時に実際に手でものに触れ、考える経験を経た人が少なくなってきていますが、そうした人達に、現場の人達が蓄積した技術や知恵をどうやって継承していくかということが、産業界でも問題になっています。例えば工場でしたら、コンピュータで管理された大工場では、手で鉄を叩いたり、削ったりしなくても、ものが作れてしまうシステムになりましたが、それによって、例えば機械の音がいつもと違う、とか、匂いが変だということに気づきにくくなりました。

--

事故を未然に防ぐ手だてを失いつつある、ということですね。

小関

そうです。今はまだ、コンピュータ化される以前から、現場で働いてきた人達がいるので、蓄積した経験をもとに、異常をすばやく察知出来ますが、彼らがいなくなってしまったらどうなるか……。人間の能力というのは、非常に精密で、機械はそれを補おうとするものに過ぎない。ですから、多くの企業では危機感を持っていて今の内に、コンピュータだけで仕事をして育ってきた人達に、人間の持っている感覚や感性、知恵、工夫の大切さを教育していこうと動き始めているのです。これは事故防止という例ですが、それだけではありません。
最近「現場力」という言葉をよく耳にしますが、私はつまり必要なのは「手でものを考える能力」だと思います。手を通してものと接触して、作る感覚を身につけることによって、マニュアル労働ではなく、自分の仕事への提案も出てくるでしょう。「これはこういうものだから」と教われば、問題意識を持てません。ですが、新しいことに挑戦しよう、こうしてはどうか、という提案は、現場をこなした人間にしかできません。「手でものを考える」ことなしに、ものが作れてしまう状況になってしまうのは、経済にとっても危惧すべきことです。手でものを考えていくことの重要さは、もっと見直さなければいけないことだと思います。

 インタビュア 飯塚りえ

小関智弘(こせき・ともひろ)1933年東京、大森生まれ。都立大学付属工業高校卒。高校時代から文筆活動に親しみつつ、18歳から大森・蒲田の町工場で働く。『羽田浦地図』『祀る町』で芥川賞候補、『錆色の町』『地の息』で直木賞候補に。著書に『町工場・スーパーなものづくり』(筑摩書房)、『ものづくりに生きる』(岩波ジュニア新書)、『職人学』(講談社)など多数。

丸美屋「のりたま」が絶対王者を譲らないワケ

Items123






ごはんのおとも」として、最も手軽に楽しめるふりかけ。 



丸美屋「のりたま」が絶対王者を譲らないワケ




 昭和・平成・令和と時代が進んでも、日本の生活者に愛され続け、現在の市場規模は約500億円。各メーカーの商品開発や購買につながる訴求も功を奏し、市場は平成初期に比べて約100億円拡大したといわれる。



 【写真やランキング】「のりたま」を分解してみると? 



ふりかけの売れ筋商品ランキングなどにも注目だ  そのふりかけ市場で、首位ブランドとして君臨するのが丸美屋食品工業の「のりたま」だ。



  さまざまな調査データでも、長年にわたりナンバーワンの座を譲らない。いわば「絶対王者」といえる存在。発売されたのは1960(昭和35)年なので、今年60周年を迎えた。



 昭和35年といえば、戦後の高度経済成長期の真っただ中で、一般庶民の生活も急激に変わっていったが、まだまだ現在とは生活様式が異なっていた時代だ。  なぜ時代が移り変わっても、強いブランドであり続けるのか。  



現在の「のりたま」担当者に話を聞き、メーカーのこだわりや人気の秘密を探ってみた。



 ■家庭では3~5種類のふりかけを常備  「今年、多くの人がリモートワークとなり在宅時間が増えたのは、ふりかけには追い風でした。家で食事をすることが多く、ふりかけに手を伸ばす機会も増えたからです」



 丸美屋食品工業の伊藤梓さん(マーケティング部 ふりかけチーム係長)は、こう説明する。2005年に入社して以来、商品開発を経てマーケティング担当となった。 



 「多くの家庭では3~5種類ぐらいのふりかけを常備しています。食器棚の中や食卓テーブルのカゴに入れて、そのときの気分で好きな商品を使われる方が多いですね。在宅で食事を用意する機会が増える中、ふりかけは、おかず1品の代わりにも使われています」  



その中で、最も利用されるのが「のりたま」なのだ。現在、工場では1日に約10万5000袋が製造されている。なぜ、これほど人気なのか。





 「日本人が大好きな“のり”と“たまご”を中心に素材の風味とバランスを高めてきました。もともと旅館の朝ごはんに出た2品にヒントを得て生まれた商品で、多くの人に好まれる味です。どのお米にも合うのも強みで、もちもちでも硬めのごはんでもおいしいです。



  『子どもの頃にお母さんが作ってくれたお弁当に入っていた』と話す消費者の方も多いですね。味に加えて、こうした郷愁も人気を後押ししていると思います」 





 下記のランキングでは上位5位までを紹介したが、トップ10には「のりたまN.P」と呼ばれる小袋(N.P=ニューパック。内容量28g)も入っている。



以下はリンクで