「博士課程=人生終了」という残酷な現実、日本の“科学立国”を揺るがす《文部科学行政》の致命的欠陥

「博士課程=人生終了」という残酷な現実、日本の“科学立国”を揺るがす《文部科学行政》の致命的欠陥
12/6(土) 8:00配信
233
コメント233件
東洋経済オンライン
やっと博士課程を修了したと思ったら、そこで“人生終了”を言い渡される――。そんな日本の博士号取得者の現状は、セミの一生のようなむなしさが漂っている(写真:Caito/PIXTA)
主要国と比べて日本の博士号取得者は少ない。しかも、諸外国では増加しているのに、日本では減少している。これは、博士課程を出ても職がない場合が多いからだ。こうした現状を克服しようと、文部科学省は「科学の再興」を目指している。だが、その実現は容易でない――。野口悠紀雄氏による連載第161回。
【ランキング全部見る】2025年最新版「本当に強い大学」トップ51大学
■博士課程入学者の急減という深刻な問題
9月に開催された文部科学省の有識者会議において「博士課程入学者が過去20年で14%減少し、とくに人文社会科学系では4割以上も減っている」という衝撃的なデータが示された。日本では少子化による大学進学者数の減少が続いているが、博士課程における減少幅はこれを大きく上回り、若手研究者の供給基盤が揺らいでいる。
日本の博士号取得者数の低さは、国際比較を見ても際立つ。 文部科学省の科学技術・学術政策研究所(NISTEP)がまとめた『科学技術指標2025』によると、人口100万人当たりの博士号取得者数は日本では123人だ(2022年度)。
これに対して、韓国(23年度)とイギリス(22年度)は約350人。アメリカ(20年度)は約280人となっている。
また、2010年度と最新年度を比較すると、ほかのすべての国で増加しているが、日本(6%減)とフランス(12%減)は減少している。
日本における博士号取得者の供給がこのように少ないことは、大学・研究機関のみならず、企業の研究開発や行政の専門職にも直接的な影響を与える。そして、日本が科学技術立国の基盤を失うことを意味する。
博士課程入学者が減少している最大の理由は、「博士課程を出ても職がない」という深刻な問題だ。SNSなどでは「博士課程 人生終了」「博士卒は就職氷河期」「博士課程へ来てはいけない! すぐ戻れ!」といった投稿が飛び交っており、若者の博士課程進学意欲に冷や水を浴びせている。
博士課程での苦労は、研究面のものというよりも金銭面での苦労であり、進路が決まらない不安という生活上の問題なのだ。
欧米では、博士課程修了者には企業の研究職やコンサルティング、行政分野など多様な就職先がある。それに対して日本では、依然として大学・公的研究機関への就職に偏っている。
しかも、ポストが不足しているため、構造的ミスマッチが解消されないまま残ってしまう。基礎研究・先端研究を担う博士人材への需要が構造的に少なく、待遇も改善しないため、若い世代が博士課程を避けることが合理的な選択になってしまっている。
この背景には、1990年代以降の大学教員ポストの削減、国立大学法人運営費交付金の減少、企業の研究投資の頭打ちなどが重なっている。
■文科省「科学の再興」戦略の成否を占う
こうした危機的状況を受けて、文部科学省は11月18日、「科学の再興」に関する有識者会議の提言を公表した。そこでは、次のような野心的な30年度までの目標値を掲げている。
・日本人研究者の海外派遣:累計3万人(23年度実績3623人)
・博士課程入学者・博士号取得者数:2万人(20年度取得者実績1万5564人)
・挑戦的研究課題の採択件数:2倍(24年度6500件程度)
・AI関連論文数の割合:世界5位(24年10位)
これらは、研究人材の量的・質的両面にわたる強化を目的としたものであり、方向としては正しい。しかし問題は、はたしてこれを実現できるかどうかだ。
目標達成を阻む1つ目の壁が、前述した国立大学法人運営費交付金が減少しているという事実だ。博士課程の拡充には、奨学金、リサーチ・アシスタント(RA)給与、進学前の生活支援、海外渡航費などに対する大規模な資金投入が不可欠。ところが、運営費交付金は04年度をピークに減少傾向が続いている。経済的支援が増えなければ、博士課程学生への入学者数2万人という目標は達成困難と考えざるをえない。
2つ目の壁が、任期付きポスト偏重の現状だ。博士課程修了者が安定した職を得られない限り、「博士課程=リスクの高い選択」という状況は改善されない。しかし、特任助教や特任研究員といった任期付きポストが多く、常勤教員ポストの新規採用は抑制されたまま。欧州では「雇用の安定性」を博士人材政策の中心に据えているが、日本は依然として任期付きポスト偏重である。
3つ目の壁は、企業における博士採用の少なさ。日本企業の博士採用率は欧米に比べて極めて低い。日本経済団体連合会(経団連)の2023年の調査によれば、回答企業の従業員のうち、博士号を取得している人の合計は約1.2万人で、全体の1%未満にとどまった。このように、MBAや修士卒の採用に比べても存在感が薄い。博士がいない組織では高度研究を担える人材を確保できず、産業の競争力に長期的な影響を及ぼす可能性がある。
4つ目の壁が、研究評価制度の問題だ。論文数偏重の評価や、短期的成果を求める科学研究費助成制度は、博士課程学生や若手研究者が大胆な研究に挑むインセンティブを弱めている。「挑戦的研究課題の採択件数を2倍」という政策目標は評価できるが、制度全体を改革しなければ効果は限定的だろう。
■政策目標を実現するために必要な3つの転換
政府が掲げる目標を実現するには、次のような構造転換が必要だ。
1つ目が、経済的支援の抜本的拡充である。給付型奨学金の拡大、RA給与の月20万〜25万円程度への引き上げ、授業料減免の拡大。欧米では博士課程学生の多くが給与を受け取り、生活が安定している。日本もこうした状況に近づける必要がある。
2つ目が、任期なしポストの拡大だ。ポスドク(博士研究員)の任期付き雇用の比率を下げ、大学教員・研究機関・企業研究所での常勤ポストを増やす必要がある。アメリカのように企業が博士人材を積極採用する仕組みづくりも重要だ。
3つ目が、国際研究ネットワークの強化である。3万人の海外派遣を目標とするだけでなく、帰国後のポスト確保や国際共同研究の継続支援が求められる。
日本の博士課程入学者の減少は、国家の科学技術基盤そのものを揺るがす深刻な危機だ。博士課程に進学することが「人生のリスク」ではなく「挑戦と成長への合理的選択」となる社会をつくることは、科学立国としての日本再生の第一歩となる。
そのためには、若手研究者を支える構造的支援、博士人材を活用する産業政策、そして大学の研究基盤の強化という改革が不可欠である。今後5〜10年の対応が、日本の科学力と国家競争力の未来を左右することになるだろう。
野口 悠紀雄 :一橋大学名誉教授
このブログへのコメントはmuragonユーザー限定です。