2月の頃>新型コロナ「衝撃の休校要請」…多くの医師が疑問を抱いている
新型コロナ「衝撃の休校要請」…多くの医師が疑問を抱いている
突然の臨時休校
2月27日、政府から全国の小中高校や特別支援学校の臨時休校という方針が打ち出された。クルーズ船やチャーター機の患者数も含めれば日本国内での患者数は900人弱で死亡者は7人というのが現状だ(2月27日現在)。
【緊急】新型コロナウイルス、実は「マスク着用」より先にやるべきことがある
学級閉鎖や休校といえば、インフルエンザ対策としてはなじみがある手法である。
もちろん子どもの生命と健康を守るのは大人の義務として、政府が責任をもって行うのは当然のことだ。
だが、閉鎖されたクルーズ船内や病院内で新型肺炎COVID-19が流行したとのニュースは数多いが、学校で流行というのはあまり聞かない話だ。
世界の感染者数の人口別グラフをみても、べつに子どもや未成年に多いわけではない。
また、新型肺炎で生命が危険にさらされるリスクが高いのは、高齢者や心臓病や糖尿病の持病のある人だ。4万人以上の大規模調査によれば、80歳以上の場合は14.8%の死亡率だが、39歳以下では0.2%という。
私も含めて多くの医師が、学校だけを大きく取り上げて感染症対策の大きな柱に位置づけることにはハテナ? という気分になった。
さらには、時代遅れの「学童防波堤論」という発想をも思い起こさせる。
【緊急】新型コロナウイルス、実は「マスク着用」より先にやるべきことがある
学級閉鎖や休校といえば、インフルエンザ対策としてはなじみがある手法である。
もちろん子どもの生命と健康を守るのは大人の義務として、政府が責任をもって行うのは当然のことだ。
だが、閉鎖されたクルーズ船内や病院内で新型肺炎COVID-19が流行したとのニュースは数多いが、学校で流行というのはあまり聞かない話だ。
世界の感染者数の人口別グラフをみても、べつに子どもや未成年に多いわけではない。
また、新型肺炎で生命が危険にさらされるリスクが高いのは、高齢者や心臓病や糖尿病の持病のある人だ。4万人以上の大規模調査によれば、80歳以上の場合は14.8%の死亡率だが、39歳以下では0.2%という。
私も含めて多くの医師が、学校だけを大きく取り上げて感染症対策の大きな柱に位置づけることにはハテナ? という気分になった。
さらには、時代遅れの「学童防波堤論」という発想をも思い起こさせる。
アジア風邪と休校
日本での感染症対策としての休校は、「アジア風邪」とよばれた1957~8年のインフルエンザのパンデミックがきっかけとなったとされる。
全世界で大流行を起こしパンデミックとなる呼吸器疾患といえば、インフルエンザが代表だ。
歴史書から推定すれば16世紀からインフルエンザのパンデミック(というか風邪症状で始まる病気で人びとがたくさん亡くなったとの記録)が十年から数十年ごとにあったようだ。
ただし、当時もちろんウイルス検査はできていないので、ひょっとしたらコロナウイルスも人類史に登場していたのではないかと、私は疑っている。
「アジア風邪」は、1957年の4月に香港で確認され、その後世界各地に広がったインフルエンザだった(それ以前の冬に中国で流行していたといわれる)。
インフルエンザとしては季節外れだったため、当時は非常に恐れられた病気だった。実際に、そのインフルエンザによる死亡者数も世界で100万人と推定されている。
日本では5月から流行し、新学期になっていた学校での集団発生があり、さらに修学旅行による日本全国への拡散が疑われたことで、休校や学級閉鎖が厚生省から通知された。
これが感染症対策としての休校の始まりらしい。
全世界で大流行を起こしパンデミックとなる呼吸器疾患といえば、インフルエンザが代表だ。
歴史書から推定すれば16世紀からインフルエンザのパンデミック(というか風邪症状で始まる病気で人びとがたくさん亡くなったとの記録)が十年から数十年ごとにあったようだ。
ただし、当時もちろんウイルス検査はできていないので、ひょっとしたらコロナウイルスも人類史に登場していたのではないかと、私は疑っている。
「アジア風邪」は、1957年の4月に香港で確認され、その後世界各地に広がったインフルエンザだった(それ以前の冬に中国で流行していたといわれる)。
インフルエンザとしては季節外れだったため、当時は非常に恐れられた病気だった。実際に、そのインフルエンザによる死亡者数も世界で100万人と推定されている。
日本では5月から流行し、新学期になっていた学校での集団発生があり、さらに修学旅行による日本全国への拡散が疑われたことで、休校や学級閉鎖が厚生省から通知された。
これが感染症対策としての休校の始まりらしい。
ワクチン集団接種と休校
その後、1960年代半ばからはインフルエンザワクチンが大量生産されて広く使われるようになった。
学校で呼吸器疾患が広がることで社会全体に流行が拡大するというイメージは、その後の対策にも影響し続け、1970年代後半からは予防接種法に基づいて学童への集団予防接種が行われ始めた。
ただし、ほとんどの場合、健康な子どものインフルエンザは、生命に関わったり、重度の障害を残したりする病気ではないし、一生に一回しか罹らない(=ワクチンも一回ないし数回でよい)病気ではない。
その意味では、天然痘やはしかや破傷風や狂犬病などに比べれば優先度は高くはない。
そのワクチン集団接種にメリットとして期待されていたのが「学童防波堤論」ともいわれる社会防衛の考え方だ。
つまり、子どもでの流行を防げば家庭内感染を防ぐことになり、会社で働いているお父さんたち(今なら女性もだが)のインフルエンザでの休業を減らすことができて、生産性低下を防止して、経済成長を減速させないで済むという発想だ。
インフルエンザワクチンそのものは症状軽減や重症化予防の効果はあるものの、感染予防効果には無効との疑問が持たれたこと、さらにはワクチン接種による有害作用での訴訟なども問題化し、1980年代には強制的な集団接種への保護者からの批判が強まった。
その経緯で、学童に対するインフルエンザワクチンの集団予防接種は1994年に廃止となって保護者の希望による任意接種となっている。
ただし、今から見直してみると、集団免疫を上げることでインフルエンザワクチン集団予防接種は予防にも間接的には少し役立っていたとの説もある。
学校で呼吸器疾患が広がることで社会全体に流行が拡大するというイメージは、その後の対策にも影響し続け、1970年代後半からは予防接種法に基づいて学童への集団予防接種が行われ始めた。
ただし、ほとんどの場合、健康な子どものインフルエンザは、生命に関わったり、重度の障害を残したりする病気ではないし、一生に一回しか罹らない(=ワクチンも一回ないし数回でよい)病気ではない。
その意味では、天然痘やはしかや破傷風や狂犬病などに比べれば優先度は高くはない。
そのワクチン集団接種にメリットとして期待されていたのが「学童防波堤論」ともいわれる社会防衛の考え方だ。
つまり、子どもでの流行を防げば家庭内感染を防ぐことになり、会社で働いているお父さんたち(今なら女性もだが)のインフルエンザでの休業を減らすことができて、生産性低下を防止して、経済成長を減速させないで済むという発想だ。
インフルエンザワクチンそのものは症状軽減や重症化予防の効果はあるものの、感染予防効果には無効との疑問が持たれたこと、さらにはワクチン接種による有害作用での訴訟なども問題化し、1980年代には強制的な集団接種への保護者からの批判が強まった。
その経緯で、学童に対するインフルエンザワクチンの集団予防接種は1994年に廃止となって保護者の希望による任意接種となっている。
ただし、今から見直してみると、集団免疫を上げることでインフルエンザワクチン集団予防接種は予防にも間接的には少し役立っていたとの説もある。
〔PHOTO〕gettyimages
「学童防波堤論」よりは自主休学の支援を
さて、こうした歴史的な経緯やら、学級閉鎖と休校という集団的な感染症対策の背景にある考え方を思い起こすと、現在の感染症対策もまた、社会を大人中心の目線で見て子どもたちに緊急措置の不便さのしわ寄せを強いる古い発想を引きずっているように感じられてならない。
学校で新型肺炎の局地発生が起きれば恐ろしいことであるのは事実だ。だが、学校の教室は、感染のリスクから言えば、会社のオフィスや満員電車と大差ないようにも見える。
「なぜ、学校だけを?」という疑問は消しきれない。
それは、新型肺炎の蔓延の予防に有効かどうかという医学的な問題だけでなく、「上意下達に一律に集団で」という発想そのものへの違和感でもある。
確立した治療法のない現時点では、入院による隔離よりも、重症ではない人は自宅で自主隔離が好ましいとの考え方は国際的コンセンサスになりつつある。
同じように、自主的な休学や休職や自宅ワークを制度的にも金銭的にも手厚く支援するのが、独裁国家ではない日本にふさわしいやり方なのではないか。
新型肺炎対策に1000万都市を完全封鎖するなど強権的に見える中国だが、北京在住の友人に聞いてみると、内実はどうも違うらしい。
むしろ、これまでのSARSや鳥インフルエンザで震え上がっていた市民は、当初から政府発表は信用せず、率先して自宅に自主隔離を始めていたらしいからだ。だからこそ、政府命令での自宅隔離への反発は少ないようだ。
中国では「上に政策あれば下に対策あり(上有政策下有対策)」というが、(有効かどうかいまひとつ分からない)政策待ちで動くのではなく、自分たち自身で思考し判断して対策を立てていくことが日本でも求められている。
学校で新型肺炎の局地発生が起きれば恐ろしいことであるのは事実だ。だが、学校の教室は、感染のリスクから言えば、会社のオフィスや満員電車と大差ないようにも見える。
「なぜ、学校だけを?」という疑問は消しきれない。
それは、新型肺炎の蔓延の予防に有効かどうかという医学的な問題だけでなく、「上意下達に一律に集団で」という発想そのものへの違和感でもある。
確立した治療法のない現時点では、入院による隔離よりも、重症ではない人は自宅で自主隔離が好ましいとの考え方は国際的コンセンサスになりつつある。
同じように、自主的な休学や休職や自宅ワークを制度的にも金銭的にも手厚く支援するのが、独裁国家ではない日本にふさわしいやり方なのではないか。
新型肺炎対策に1000万都市を完全封鎖するなど強権的に見える中国だが、北京在住の友人に聞いてみると、内実はどうも違うらしい。
むしろ、これまでのSARSや鳥インフルエンザで震え上がっていた市民は、当初から政府発表は信用せず、率先して自宅に自主隔離を始めていたらしいからだ。だからこそ、政府命令での自宅隔離への反発は少ないようだ。
中国では「上に政策あれば下に対策あり(上有政策下有対策)」というが、(有効かどうかいまひとつ分からない)政策待ちで動くのではなく、自分たち自身で思考し判断して対策を立てていくことが日本でも求められている。
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